『麻生とともに歩んだ音楽の道』
2012年 05月 22日私の所属している麻生区文化協会では、今回発行の会報『からむし』で市制30周年にちなんだ特集を組んでいます。
初代区長、市民館館長、著名な書道家の方と並んで、おこがましくもIZUMIさん、貴重な1ページを飾らせて、いえ、埋めさせていただきました。
皆さんのお目に触れる機会も少ないと思いますので(本心は、せっかく徹夜で書いたから)、以下、同じ文章を転載します。
『麻生と共に歩んだ音楽の道』 (声楽家) 宗 いづみ
私がここ麻生の地に引っ越して来たのは約40年前、まだ地名に字が付き、新百合ヶ丘駅の影も形も無い頃でした。音大に入学した私は、音楽の道をまっしぐらに歩き始めました。
やがて麻生区誕生、演奏活動一辺倒だった私にも転機が訪れます。堅苦しく思われがちなクラシック音楽をもっと身近に感じて欲しい、麻生を音楽のあふれる街にしたい、との思いが膨らみ、地域に根差した文化活動の大切さに気付いたのです。文化協会で諸先輩の先生方が目指して来たことに、やっと私も目覚めたと言うところでしょうか。
まずは麻生音楽祭や麻生区合唱連盟の活動を通して、“演奏する楽しさ”、“聴く楽しさ”、“裏で支える楽しさ”をアピール。今では合唱団だけでなく、器楽団体、学校関係、オーケストラの皆さんと絶妙な連携を取り合いながら、音楽文化の向上に力を注いでいます。音楽祭20周年を記念して、私の長い間の念願だった麻生区の歌『かがやいて麻生』が出来た時の嬉しさは格別でした。
若手音楽家を“育てる楽しさ”は「あさお芸術のまちコンサート」の立ち上げの一つの目標でもありました。こちらも年々活動の範囲を広げ、麻生にしっかりと根を張りつつあります。
10年間務めた麻生市民館運営審議会では、文化、芸術、音楽、生涯学習に関する数々の提言をさせていただきました。
個人的には、麻生老人福祉センターでコーラス講座の講師を続けて21年になります。その間の受講生は延べ4800人以上。そして、平均年齢79歳の合唱団『コーラス銀の会』を始め、4つの合唱団を指揮・指導し、その傍ら合唱曲の作詞や編曲、ミュージカルの振付などを手掛け‥‥と、どっぷりと音楽に浸った毎日です。
また、旧姓の『吉村泉』で演奏活動も続けています。メゾソプラノ歌手として、テノールの主人と共に麻生市民館大ホールで毎年開催している『クリスマス・ホーム・コンサート』は、今年で第27回を迎えることになりました。日本各地の他、イタリア、ドイツなど海外でのコンサートも積極的に行なっています。ペルーのコンサートで沖縄民謡を方言で歌ったところ、沖縄から移住された方々に大変喜ばれたこと、また、ドイツの室内合奏団やロシアの名バス歌手の方を招いて市民館で共演したことなどは、特に心に残っています。その他、現在5つの合唱団の伴奏ピアニストを務めています。
思えば私の音楽活動は麻生と共に始まり、麻生と共に歴史を刻んで来ました。麻生に音大が出来、そこここで質の高い音楽会が開かれ、いつの頃からか麻生区は“音楽の街”、“芸術のまち”と呼ばれるようになりました。長いようでアッと言う間だったこの道のりを振り返り、私は一人深い感慨に浸っています。
・・・ってな内容でした。それにしても、なぜ私に原稿依頼??あ~、私も30周年を語るトシだってことですね。
by izumihitori
| 2012-05-22 11:51
| 歌・音楽